1985年(昭和60)のプラザ合意後の急激な円高により、わが国の輸出産業は大打撃を受けましたが、輸出依存体質であった横浜スカーフも例外ではありませんでした。
以後、これらの試練を経た横浜スカーフは、輸出体質から脱却して、国内需要の掘り起こしに努力してきましたが、折からの我が国高度成長に支えられた消費ブームでスカーフの人気が高まり、有名ブランドのほとんどが横浜で生産されデパートの店頭を飾るという繁栄をもたらしました。
このように、横浜スカーフ産業は過去いくたびかの好不況の波をのりこえて発展してきました。
その背景には捺染業界を始めとする技術者の絶え間ない研究と努力があり、これが横浜のスカーフ産業を支えてきたと言っても過言ではありません。平成の大不況に入ったこのときも関連業界が一致協力し染料や糊料などの研究、改良がつづけられ、労力の軽減と品質の安定、生産性の向上などを目的に、ハイテク機材を使用した新しい技術製品の開発、経営の合理化がすすめられました。
輸出を主体としてきた横浜の業界は、長い年月にわたり、捺染・型・縫製などそれぞれの分野で責任をもつという分業生産方式によって発展してきましたが、これからは、消費者指向の多様化にみられる現代のめまぐるしい経済情勢への対応には、それなりの産業構造への脱皮が求められています。
近代化の波に沿って生産・流通の仕組みを変革し、消費者の意向を敏感に受けとめ、それらを直ちに反映させた、消費者主体の物づくり、供給体制の確立が急務とされています。
スカーフだけではなく、横浜スカーフの技術を駆使した新たな商品として消費者に求められる物づくりをめざし、関係業界が横のつながりを大切にして新しい”世界に誇れる物づくり”が進められているところです。